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「賢帝の世紀(上」ローマ人の物語24、塩野七生

評価:
塩野 七生
¥ 500
(2006-08)
コメント:五賢帝でももっとも評判が良いというトライアヌス帝は、ぶっちゃけて評判良すぎて資料がないそうですよ(諦めにくいなぁそれはw)。

JUGEMテーマ:歴史
そもそも70過ぎて皇帝になったネルヴァさんが(理由は地位の高さと性格かな?)(中継ぎ皇帝であるということはご当人も含めて誰もが思っていたでしょうね)、後継者に属州出身のキャリアも軍事が主だったトライアヌスを指名。
なんでも、先代ドミティアヌスの死の責任を追及しようとしていた軍内部の動きを宥めるためではないのか、ということだったのですが、まあ、このトライアヌスが誰もが文句が付けようもないほど素晴らしい皇帝だった、とのことで結果オーライ。
ペシミスティックな同時代の歴史家・タキトゥスも沈黙し。
その他、口の悪い歴史家たちもなぜかこの時代が抜けている、という徹底ぷり(これはまあタキトゥスの本を定本にしている方らが多いせいかと、意見には納得してない塩野さんも頼りっきりなくらいだったしね)。
もののついでに、トライアヌス当人の書いた『ダキア戦記』も散逸。
結果、善政を敷いた、ということ以外がどうもさっぱりとわからないのだそうですよ、ああ、塩野さんが嘆くまでもなく、いかにも歴史家泣かせですね、これ。
なのでまあ、ダキア戦の経緯を描いたレリーフ、タキトゥスの親友でもあった小プリニウスと皇帝との往復書簡、レンガに刻まれた日時などから建築物を推定、となかなか涙ぐましい努力が行われてきたようですね(これは素人じゃあ無理だよなぁ)。

そういや、本でも触れられてましたが、キリスト教の迫害者として、どういうわけかネロ帝に続いての登場(キリスト教側の資料でもそうだったのでまあ間違いはないかと)、ネロの時は完全に濡れ衣だったので、要するにこの時代が始まりということになるのか。
終末思想が蔓延っていた、とはいうものの、、、処刑に値するほどかなぁ?

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